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【 GERMAN SPECIAL CARS!! vol.12 至福の時間を特別なクルマで。/ AMGの原点となったスペシャルモデル AMG 300SEL 6.8(REPLICA) 】

今ではメルセデスの最上級グレードに君臨するAMG。その圧倒的なパフォーマンスはいつの時代もドライバーを魅了し続けている。そんなAMGの原点というべきクルマがAMG300SEL6.8である。これを忠実に再現したレプリカを見ながら、そのヒストリーを紐解いていこう。

 

The history of AMG

街のチューニング屋だったAMGを
一躍有名にさせた300SEL6.8の実力

 AMGの設立者であるハンス・ウェルナー・アウフレヒトは、もともとダイムラー・ベンツの試験部門に在籍していた。彼は、自らのレーシング・ファクトリーの設立を願い、67年に独立。エルハルト・メルヒャーをパートナーに迎え、小さな古い工場でAMGの操業を開始する。この時名付けたAMGとは、A(アウフレヒト)、M(メルヒャー)、G(グローザスバッハ=アウフレヒトの出身地)の、それぞれの頭文字を並べたものだ。
 そのAMGの名声を一気に高めたのがAMG300SEL6.8だが、レーシングカーのベースマシンにSクラスのロングボディセダンを選ぶという発想に、誰もがぶっ飛んだ。当時のベンツにはW114というタテ目のコンパクトボディがあり、そちらをベースにレース車両を仕立てるのが常套だと考えられるからだ。ただし、アウフレヒトの頭の中には、耐久レースを戦うためには、低い回転数でパワーが取り出せる排気量の大きなエンジンで戦った方が有利という公算があったのだろう。V8エンジンの搭載が無理なく可能だという一点で、前代未聞のSELツーリングカーは完成したのかもしれない。
 レースではクラス優勝、総合成績でも二位に入賞してしまう。無名のチームが巨大なセダンで現れ、いきなりの強さを見せつけたのだから、それは驚きだったに違いない。これをきっかけにAMG社には様々な仕事が舞い込むようになる。
 その後、工場は現在のアファルターバッハへと移転し、1988年にはメルセデス・ベンツのモータースポーツへの復帰によって業務提携を結び、90年には正式な企業提携が実現。93年には共同開発モデルのAMG C36をメルセデス・ベンツのディーラーネットワークで発売するなど、古巣であるダイムラー・ベンツ社にその技術力を認められ協力関係を築いていく。そして1999年には当時のダイムラー・クライスラー社がアウフレヒト氏から株式を取得して保有率を51%とし、AMGを事実上の傘下に収めることになる。
 ここから現在の「メルセデス・ベンツのラインナップの頂点に位置するスポーティなモデル」という、AMGメルセデスのポジションが確立されていくことになるわけだ。ちなみにこの時、アウフレヒトはAMG社を退き、メルセデスのレース部門を専門に請け負うHWA社を設立している。
 卓越した技術と不屈の精神でゼロからの成功を収め、今もレースに情熱を注ぎ続ける。AMGのブランドには、創業者アウフレヒトのそんなモータースポーツへの純粋な思いが込められている。一人の男の情熱が生んだブランドなのである。
スパ・フランコルシャン24時間レースで総合2位に入賞したゼッケン35のカラーリングの他に、翌’72年ニュルブルクリンク24時間レースを走ったゼッケン1のカラーリング仕様も存在する。有名なカラーリングは、この35番車の方。
2灯の大径後付けドライビングライトが印象的。通常のハイビームレンズが黒く塗りつぶされているのは、レギュレーションによる灯火類の数量制限があったからなのかもしれない。
今でも普通に使えてしまえそうなほど、とてもレースカーとは思えないインテリア。撮影当時は標準の4ATが搭載されていたが、M100エンジン用のマニュアルトランスミッションが見つかり次第、MT化の予定とのことだった。シートもバケットタイプが装着されており、本物もこの仕様でレースを走ったそう。
フロントタイヤのサイズは245/50-16。リアはそれよりも幅広で、255/50-16となっている。ホイールは126クーペのAMGに付いていたものを流用している。サイズはフロント16×9J、リア16×10Jとなる。
大きなクルマが地面に伏せると、もの凄い威圧感を放つようになる。車高調整を低いレベにすると、この表情。かなり、イカツイ。