「あくなき可能性の追求」こそ、JAOSが成長を続ける原動力となっている。協力企業と共に挑む世界を股にかけたモータースポーツ活動はその過程で培った技術を市販パーツへ応用していくJAOSの伝統でもある。そして2022年、JAOSはいよいよBAJA1000に初挑戦する。
■TEAM JAOS BAJA1000への道
あくまで市販車がベースの大仰ではないチューニングでAXCRに参戦してきたTEAM JAOS。2019年にクラス優勝を果たしたハイラックスは、ひとつの到達点だった。
TEAM JAOSのモータースポーツプロジェクト。2015年に始動し、タイを起点に東南アジア各国を走破するラリーレイド・AXCR(アジアクロスカントリーラリー)を中心に参戦。2019年には目に見える成果をしっかりと残し、第1フェーズは完了した。2020年からは次なるフェーズに向け新たな挑戦を開始する。2021年8月にアメリカで開催された全米最長のオフロードレース「Best In The Desert Vegas to Reno」に初挑戦。2021年には、国内ラリーの最高峰である「全日本ラリー選手権(日本国内で開催)」にクロスカントリー車両クラス「OP-XC」が初めて新設されたことからTEAM JAOSも参戦するなど、オフロードレースと強い関係を感じさせる取り組みを行なってきた。
2022年、TEAM JAOSが新たに挑むSCORE BAJA1000(以下、BAJA1000)は、メキシコのバハ・カリフォルニア半島を舞台とし、また参戦マシンには新たにレクサスの最新鋭フラッグシップ・LX600を投入するなど、TEAM JAOSにとって初めて尽くしの挑戦である。
レースマシンは2022年8月に完成。日本国内でテストを重ね、SEMA SHOW2022でお披露目された。その後北米での最終走行チェックを行ない、BAJA1000のスタートの地・メキシコ・エンセナダに向かった。
ステアリングを握るのは、TEAM JAOSをけん引するJAOSの社員ドライバー・能戸知徳。北海道でオフロードショップを経営する父親に連れられ、12歳の時に現地で初めて見たBAJA1000への参戦は、憧れ続けていた夢の舞台。能戸と、モータースポーツを通じて常にチャレンジを続けるJAOSの想いが、今回ついに1本の線で繋がったのである。
さて、TEAM JAOSのBAJA1000プロジェクトは3ヵ年計画となっている。1年目の今回はノウハウを蓄積するために長い距離を規定時間内に完走が目標。LX600に施したカスタマイズは、タイムを詰めるための軽さやパワーよりも、走りきる強さを重視した。この挑戦は、間違いなく日本のオフロードファン注目の戦いになる。
■2人でチームを率いる
TEAM JAOSを率いる2人の人物。
JAOSの代表取締役でありチーム監督 赤星大二郎と、同社のパーツ開発担当でありドライバーである能戸知徳。BAJA1000チャレンジに向けて7つの質問に答える。
BAJA1000のスタートに立つ、これはJAOSにとって何を意味する?
──株式会社ジャオスの30周年記念プロジェクトとして2015年に発足したTEAM JAOSの集大成であり、第二章のスタートとも言えると思います。これまでアジアの地で培ってきたノウハウがオフロードレースの本場である北米で通用するのか試すと共に、さらなる修練を積み上げていきたいと思っています。
完走という大きなプレッシャーがかかっていますが、どのように対処しますか?
──プレッシャーはもちろんですが、それよりも数か月に及ぶ車両製作をはじめとした様々な過程を乗り越え、やっと長い間夢に見続けていた大舞台に立てたという感激の方が大きかったです。また、言い方は難しいのですが、BAJA1000は参戦初年度から完走できるほど甘いレースではないことは覚悟しているので、我々のBAJA1000への挑戦は3ヵ年計画としています。そこで、今回は「まずはスタートに立つ。そしてなるべく多くの距離を走る」をテーマに掲げていたので、必要以上のプレッシャーはなかったかもしれません。
BAJA1000はどの段階をもって成功と言えるのでしょうか?
──先にお話をしたように、我々TEAM JAOSのBAJA1000参戦は3ヵ年のスパンで計画しているので、各年度ごとに目標が異なります。具体的には、初年度である2022年は「スタートラインに立つ」、2年目となる2023年は「完走」、そして3年目の2024年には「クラス優勝」を目標としています。ですから、現段階での最終年度である2024年にクラス優勝を遂げるのが成功と言えるでしょう。
BAJA1000で過酷なところは?
──これまで参戦してきたアジアクロスカントリーラリーなど日々休息とメンテナンスが行なえるラリーレイドとは異なり、スタートゲートをくぐるとマシントラブルを修復する時間からトイレタイムまですべて走行時間に含まれてしまいます。また、サポートカーは帯同しているのですが、落ち合えるのは限られた地点でのみ。そこで、基本的には車載した工具やスぺア部品を使ってドライバーとコ・ドライバーの二人だけで対処しなければならないのも厳しい部分です。
レースにおける最大の焦点は?
──瞬間的に速かったとしても、一度トラブルが発生するとあっという間に大切な競技時間を無駄に使用してしまいます。そこで、なるべく壊れないマシン造りと壊さない(ミスをしない)安定したペースの走りがカギになります。特に我々無改造車カテゴリーのエントラントにとって、競技ルートは普通に走ってもクルマを壊してしまうような過酷な道が続くので、実ははやる気持ちを押さえる我慢も必要だったりします。
JAOSファンがBAJA1000から得られるものは?
──世界屈指の過酷な競技で試された耐久性や機能、そして新たなアイデアによってJAOS製品をさらに高みに引き上げていきたいと考えています。特にサスペンションやガードアイテムでは、得られた知見はダイレクトに新製品開発に生かせるはずです。また、様々な経験を潜り抜けて強化されたスタッフのマインドも今後のモノづくりにフィードバックしていきます。
レースの翌日は何をしますか?
──「ゆっくり寝たい」というのが本音と言えば本音ですが、限られた滞在期間の中で車両や大量の工具&スペアパーツを国内に送りかえす準備をチーム総出で行なわなくてはなりません。また、我々はプロモーションとしてレース活動を行なっています。そこで、帰国したらすぐに活動を行なえるよう、現地で依頼した外部スタッフから画像や動画素材を収集したり、それらを使用した動画編集について打ち合わせを行なうなど……実は業務予定が目白押しなのです。
■20年来の夢を叶えたい
メカニックとして参加する父に連れられ、初めてBAJAの地を訪れたのがミレニアム(2000)の年でした。当時僕は中学1年でしたが、そのスタートを目の当たりにして衝撃を受けました。街中がレース一色。大通りが封鎖され、レースマシンが大挙してパレードして行くんです。その迫力と言ったら……。それ以来、BAJAへの参戦は僕の夢になりました。
18歳の時、海外競技に初めて参戦します。その時のナビがJAOS 赤星社長(当時は専務)でした。ですがリーマンショック以降はレース活動が難しくなり、目標を見失って少し自暴自棄になっていました。そんな折りJAOSの30周年記念事業として始まったアジアクロスカントリーラリーへの参戦にお声がけいただき、マシン製作にも携わるようになり、2019年にはクラス優勝を果たすことができました。
ところが今度はコロナ禍で競技がなくなってしまいます。私達の活動や活躍をファンの皆さんにお届けすることができません……。そんな日々が続く中、2021年に始まったレクサスLX600のパーツ開発をきっかけに「新しいLXでレースマシンを造り、BAJA1000に挑戦する!」という壮大な計画が生まれました。
BAJA1000は世界で最も過酷なオフロードの耐久レースです。ここで我々はJAOSのクルマ造りや製品を思う存分試すことができます。私自身、浮き沈みのある人生でしたが、2022年はBAJA1000のスタート台に立つことができました。来年こそは完走です!石にかじりついてでも結果を残すべく、次の1年を戦って参りますので、ご声援をよろしくお願いいたします!
■夢を共有する
TEAM JAOSは、「パーツ開発への技術的フィードバック、世界市場の拡大、メーカーや取引先と何かを成し遂げたい」というJAOSの熱い想いが結実したもの。例えば、ダンパーの供給元であるKYBとのタッグは技術的な蓄積を積み上げ、パートナーシップを締結しているTOYO TIRESとは、新たなタイヤの開発や4WD&SUVカテゴリーを共に盛り上げていこうという想いを共有している。群馬トヨタ自動車へのメカニック依頼は、地元企業との繋がりをより深くしたいという想いから。そして自社を含む協力企業から若手のプロジェクト参加を促し、人材育成にも役立てている。モータースポーツである以上、勝利を目指すのは当然だが、それ以上に得られる価値がTEAM JAOSへの参画には存在しているのである。
LX600 “OFFROAD” JAOS ver.をさらにブラッシュアップ
オフロードをキーワードに開発された2台のLX600。ここでは新たな進化を遂げたLX600 BAJAスペックにスポットを当てる。
2022年1月にJAOSが発表したカスタマイズモデルLX600 “OFFROAD” JAOS ver.。LX600 “OFFROAD”をベースに開発された。
SCORE BAJA1000参戦のために開発したLX600 BAJAスペック。とくにボディ強化に主眼を置いたカスタムを施した。
SUSPENSION
BRAKE
LUGGAGE
TIRES & WHEELS
COCKPIT
COLOR
その他、パワートレインは“Stock Full Class”のレギュレーションに則りノーマルのまま。3.5ℓV6ガソリン+ターボのエンジンはマフラーのリヤピースのみ変更というライトチューンにとどめている。駆動系は10速AT+フルタイム4WDとノーマルを踏襲しながら、タイヤの大径化にともない最終減速比だけ3.307から4.300へローギアード化されている。
そうして未知のBAJAの地を走り抜けるために細部にまでこだわって製作されたLX600 “OFFROAD” TEAM JAOS 2022 ver.。そのブルー×ブラックに込められた想いは熱く力強い。
カスタマイズの叡智が集う場所──SEMA SHOW 2022 & TOKYO AUTO SALON 2023
勇気ある決断が下された大事な一戦の舞台裏に迫る!
トロフィートラックが全開で駆け出す中、もうひとつの戦いが始まった。
市販車がどこまで通用するのか? ドライバーは交代無しで走り切れるのか?僅かに許された改造パーツの性能と信頼性は?TEAM JAOSが3ヵ年計画で挑む壮大な耐久レースが今、スタートした。
ミレニアム(2000年)に訪れ、12歳でBAJAを観た少年が今、そのスタート台に登ろうとしていた。隣には監督の赤星。「社長、街全体が揺れるんです。その様子を一度お見せしたい」。以前、能戸がBAJAへの想いを語った時、一番心に刺さった台詞が赤星の脳裏をよぎっていた。
2022年11月18日早朝。ゼッケン8188番のレクサスはゆっくりとステージを登り、その中央で止まった。「参戦する」と啖呵は切ったものの何も分からず、暗中模索で始めた一大プロジェクト。あとに退けないプレッシャーの中、通常業務との折り合いを探しながら無我夢中で走って来た約半年間。その記憶が、走馬灯のように蘇る。時間は限られていたが、できることは妥協せずにやってきた。
「日本からクールな新型レクサスがやってきた」SNSでもLXは人気者だ。写真を撮ろうとする観客にドライバーズカードを配るサービスクルーも少し鼻が高い。今大会のエントリーは276台。このうち半数近くがゴールにたどり着けないことは過去の歴史が証明済み。待ち受ける競技が過酷であるが故に、ここに立つコンペティターがどんな覚悟で来ているのか、観客は皆知っている。
「コンニチワ・アミーゴ!」マイクを向けられた能戸も「全てに感謝。夢が現実になりました」と巨大モニターの中で感慨深げ。赤星も人と人の不思議な絆を紡ぎながら、そしてチームとして誰ひとり欠けることなくこの大舞台に立てたことを、誇りに感じていた。
正午にスタートした能戸はほどなくトロフィートラックが荒らした路面の洗礼を受けることになった。35インチの大径タイヤでも腹下を擦るため、よりダメージの少ないラインを選ばねばならない。 トロフィートラックなら飛び越えて行くクレストでも、路面を舐めるように走らせる。
今までならはやる心を抑えられなくなる能戸だったが、そんな気持ちは疾うに置いてきた。1秒でも速く走ることより、1時間でも長くステアリングを握ることのほうが大切だと分かっていたからだ。徹夜の訓練も行なった。全米最長のレース Vegas to Renoにも挑み14時間半で完走した。それでも828.25マイルを30時間以上不眠不休で走る、というミッションは未知の世界。だからこそ可能な限り長く運転することを目指す。
だがTEAM JAOSに与えられた日照時間は少なかった。この時期、メキシコも日が短い。朝9時にスタートしたトロフィートラックと違い、走り出して5時間もすれば暗くなる。コース上にはチェックポイントが3か所あり、足切り時間が決まっている。最初の関門は200マイル先のチェック1。リミットは21時50分だ。サービスチームを率いる赤星はその途中、国道が交差する70マイルポイントまで先回りして待っていた。だがいくら待ってもLXのエンジン音は聞こえない。
能戸はかなり早い段階から異変に気付いていた。スタート直後の速度制限区間ではさほど気にならなかったが、その後、スピードを出したくてもエンジンが吹けない。バラつく。出せても時速45㎞程度。時折ストールする。満足に走れない……。
20マイルを過ぎた辺りで能戸はクルマを止めた。最初に行なったのは安全タンクの燃圧の確認だ。昨今の新型車の例に漏れず、LXもECUがクルマ全体を統合制御しているため改造にはリスクが伴う。したがってエンジンを含め駆動系や電装系はノーマルのまま使っている。ただ、唯一行なった改造が安全タンクの取り付けだったのでそこを疑ったのだ。だが燃料系はいずれも正常。腹下を通る燃料ラインを外してみたが燃圧はしっかりかかっている。状況を把握したサービス部隊が合流したのは30マイル付近。早速診断機で症状を確認。異常が確認された項目に沿ってエアフロセンサーや燃料ポンプを交換、プラグも確認した。その都度エンジンの調子を観ながら吸気系と燃料系で可能な作業は全て行なった。「1マイルでも多く走らせたい」その場にいた全員が同じ気持ちだった。だが、エンジンの調子は変わらなかった。
一番ショックを受けていたのは群馬トヨタグループから派遣された3人のメカニックだったに違いない。彼らはプロジェクトを率いる能戸と一緒に、車両をバラす時からずっと一緒だったのだ。国内のテストは順調。直前に行なった現地のテストでも問題はなかった。それだけに目の前で起きている現実が信じがたかった。それでもやれるだけのことはやった。その気持ちに後押しされるように能戸は出発した。よし、次は100マイル付近で会おう!
しかし、リタイヤ後もタッグを組むCANGRO Racingのサポートとして同チームに帯同した。本来であれば自らが走るはずだったコースをなぞる事で次回へと繋がる経験を積み重ねたのだ。「僕らとレギュレーションの解釈やマシン作りが違っていて、とてもいい勉強になりました」。日本から遠目に眺めていた規則書と現実に許される改造と。大径37インチタイヤの有効性も、路面が想像以上に荒れていることも、全ては挑戦したからこそ知り得た事実だった。
「この場に立てたことは大きな一歩です。ここで得た経験をスキルに変え、次に向けてしっかり準備しなければなりません。」と能戸。「残念な結果になりましたが、挑戦したことで得られたもの、得られた縁が沢山ありました。この宝物を大切にしながら今後も継続して取り組みます。来年は、ゴール後の景色を見るために戻って来ましょう!」。新たな冒険の扉は開き始めたばかりだが、赤星の目はその先を見据えていた。
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