知識と技術を磨き続けること
それが“ボンドスタイル”の原点
輸入車にまつわる全てをワンストップで提供できる
ハイクオリティな輸入車の販売拠点から、ヘビーなメンテナンスおよびカスタマイズを行うためのファクトリー、そしてショーカーレベルのボディメイクが行える板金塗装工場までを自社内に有するだけでなく、MANSORYやTECHART等々の名だたる欧州チューナーブランド製品やANRKY、rotiformなどのアメリカ鍛造ホイールの日本総輸入元でもあるボンドグループ。
だが、その出発点が「パンク修理屋」であったことをご存じない人も、今となっては多いのかもしれない。
1949年に埼玉県浦和市でタイヤのパンク修理業を立ち上げた初代は、やがてブリヂストンタイヤと代理店契約を結んでタイヤ販売もスタート。そして1971年には「ピレリー浦和」も立ち上げたが、初代には事業を拡大する意向はさほどなく、浦和市内の2店舗での営業のみにとどめていた。
だが1993年。現在の代表取締役である細川恵多氏が“輸入車”へと大きく舵を切ったことから、現在に続く「bondスタイル」すなわち「輸入車の購入からメンテナンス、そしてハイセンスなカスタマイズまでを“ワンストップ”で提供する」という、それまでありそうでなかったスタイルが誕生することになった。
とはいえ、若き日の恵多氏がフランクフルトモーターショーの華やかなチューナーブースを視察して衝撃を受け、「日本にもこのカルチャーを根付かせたい!」と夢想し、そして実際にスタートさせた「輸入車をカスタマイズする」というスタイルは、なかなか認知されなかった。最初のうちは苦戦したという。
「でもまぁ当時の私たちには“実績”がまるでなかったわけですから、仕方ないですよね。そのため、『まずは知識と技術を究めることに全力を尽くそう!』ということでひたすら研鑽に務めました。そうやっていると、最初は完全に半信半疑だったお客様も、私どもが作るクルマにご満足いただけるようになってきました。そしてその評判が口コミで伝わり、いつしか、おかげさまで“繁盛店”と言われるようなお店になっていったんです
1998年には屋号を「bond(ボンド)」へと変更。これは、スパイ映画の主人公の名前ではなく、ロンドンのウエストミンスターにある通りの名前でもなく、「接着剤のボンド」をイメージしたものだ。クルマとパーツを、そしてユーザーとクルマを、あるいはユーザーとユーザーとを“くっつけたい”という想いから、初代から会社を受け継いで代表取締役となった細川恵多氏が1998年に付けた屋号である。
現在は埼玉・東京・愛知・大阪に計11の拠点を構え、前述のとおり海外有力チューナー多数の日本総輸入元にもなっている。
「海外のチューナーやパーツメーカーと契約を結び、そしてパーツを仕入れる際は、必ず現地に行って“実際にそれを作っている人たち”とさまざまな話をするようにしています。そのブランドやプロダクトの背景やストーリーまでを知っていないと、日本のお客様においそれとご紹介するわけにはいきませんからね」
そのように語る細川社長は今後、仙台や福岡、神奈川などにも「bond shop」を作り、もっともっと「クルマとクルマ好きとをくっつける作業」に邁進していきたいと言う(ちなみに、すでに1店舗がある東京都にも『あと2拠点は作りたいですね~』とのこと)。
そして、そのうえでのキーポイントのひとつとなるのは、やはりメルセデス・ベンツGクラスであるとも言う。
「Gクラスは非常に個性的なクルマなのですが、しかし同時に『乗る人の個性を選ばない』という特徴もあると思っています。つまりGクラスというのは、男っぽい感じにも、カワイイ感じにも仕立てられるクルマですし、例えば『スーツに似合うGクラス』も『短パンに似合うGクラス』も作ることができる。個性的ですが、万能なんです。そして万能だからこそ、追求しがいがあります。究めようと思っても“終点”がないんですよ。ですからこれからも、時代の変化に応じた新旧Gクラス用製品を――機能系パーツも、ビジュアルを強化するホイール等々も――どんどんリリースしてまいりますので、ぜひ私どもの“スタイル”にご注目いただけたら幸いです」
100人以上の社員の人生を預かる経営者でありつつも、同時に「単なるクルマ好き」にも見えなくはない目で、細川恵多氏はそう言った。